東京高等裁判所 昭和43年(う)1587号 判決 1968年10月22日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人大月和男作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。
一、弁護人の控訴趣意第一(事実誤認)について。
(イ) 所論指摘の事実関係のうち、原判決が、原判示第一の各窃盗行為について、被告人の単独犯行と認定判示していること、被告人が、捜査段階における司法警察員に対する供述調書においても、また原審公判廷においても、一貫して単独犯行であると供述して来ていること、および、弁護人も、単独犯行という点については、何ら反対の主張をしていないことは、いずれも記録上明らかなところである。もちろん、右に対応する起訴状において、被告人の単独犯行として起訴されていることも、これまた記録上明らかなところである。
(ロ) 右窃盗事犯は、被告人の単独犯行ではなく、原審相被告人飯塚富蔵との共犯である、という所論主張が、当審に至つてはじめて突如として主張されたものであることは、その主張自体から明らかなところであり、記録上も、またそのとおりである。
そして、飯塚との共犯であるとの主張なり、証拠資料なりが、原審において全く顕われていない理由として、所論は、つぎのとおり述べている。
すなわち、弁護人は、この窃盗事件が、被告人の単独犯行ではなく、飯塚との共犯であることを、原審公判前に、被告人から聞いて知り、被告人に真相を述べさせようとしたが、被告人の方で、「捜査段階において述べたとおりに、単独犯行として供述する」という意思でもあり、かつ、飯塚からもそのことを頼まれたので、ついに真相を述べないままに、単独犯行という供述をして、原判決を受けるに至つた。
ところで、記録上明らかなとおり、弁護人は、原審においても、当審においても、被告人の私選弁護人であり、かつ原審において共同審理(別件窃盗事件等)を受けていた相被告人飯塚の私選弁護人でもあつたのである。
右のところから、弁護人が原審の審理に際して、弁護人のいわゆる真相なるものを主張することを妨げる障害は、何もなかつたといい得るわけである。むしろ、弁護人は、単独犯行で押し通すか、それとも所論にいう共犯ということで行くかの、利害得失、有利不利その他すべてを考慮に入れて、採るべき道を選んだはずである。
所論にいう、
被告人は、本所警察署において取調を受けていた当時、折から年末でもあり、共犯ということになると、相被告人飯塚の取調べで勾留が長びくことをおそれて、一日も早く取調の完了することによつて保釈出所を希望して、右のとおりに、自己の単独犯行という供述をしたものであるという、被告人個人の内部的心理状態が、仮りにあつたとしたところで、右の判断に違いは出て来ない。
(ハ) 以上、要するに、本件の場合は、窃盗被告事件の被告人が、捜査段階の取調でも、また原審公判廷の審理の段階でも、単独犯行と供述して来ており、かつ、弁護人も、原審において、この点については、何ら反対の主張をしておらず、従つて、記録上、単独犯行ではなく、共犯ではないかとうかがわれる節は全くない場合であり、原審の審理に際して、他に共犯者がいる旨を主張することを妨げる障害が何もないという状況の下にあつた弁護人が、原審の審理前にすでに、被告人から、他の者と共犯である旨を聞いて知つていたが、このことを原審では全く主張せず、控訴審に至つて、はじめて主張するという場合である。
この場合には、所論にいう共犯関係にあるという新たな主張事実は、刑訴法三八二条の二第一項の「やむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠によつて証明することのできる事実」には該当しないものと解すべきである。同条項にいう「やむを得ない事由によつて請求することができなかつた」の意味は、証拠資料の第一審集中主義という法の立前からいつて、請求しようとしても、請求ができなかつたという場合を意味し、本件の場合のように、共犯の存在という点に関し、証拠の存在をつとに知つていたが、被告人の要望もあつて、請求しなかつたような場合は、もはやこれに該当しないと解すべきだからである。従つて、所論の共犯関係の新たな主張は、同条第三項の疎明の問題に立ち入るまでもなく、控訴審において主張立証できないものといわねばならない。そうしてみると、本件の場合においては、事実誤認は全くないといわざるを得ない。論旨は理由がない。<後略>(内田武文 横地正義 金隆史)